生物学と社会課題の接点を読む:「科学は誰のものか」を読んで | 生物寺子屋詳細ページ  

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生物寺子屋

筑波大学生物学類 森 愛珠

指導教員:和田 洋

生物学と社会課題の接点を読む:「科学は誰のものか」を読んで

───ドラえもんがいたらなぁ。

 幼いころ、私はよくそう思っていた。もし自分の目の前にタイムマシンが、どこでもドアがあったとしたら。実際、この漫画を読んだ多くの人が同じことを考えたことがあるだろう。それは、誰しもが思い描く夢のような未来。そして、科学技術とはその輝かしい未来へ私たちを連れて行ってくれる素晴らしいものなのだと、胸躍らせたのではないだろうか。

科学は誰のものか

 しかし本書の始めで、著者は鋭く指摘する。果たして、本当にそうだろうか。私たちはもう気づいているはずだ、と。核兵器、環境問題、「緑の革命」以後広がった格差。科学がもたらすものは決して恩恵ばかりではない。彼らは社会と複雑に絡み合いながら、時として私たちも予測できないような問題を引き連れてくる。そこで、著者は読者に問いかける。どのようにそれらの問題に対処していけばいいのか、どのように科学と向き合えばいいのか、そして科学とは一体、誰のものなのか。

 本書は7つの章で構成されている。第1章では大阪万博が開催された1970年代以降、夢と未来に溢れていた科学技術がどのようにしてその影の面を表すようになっていったのかを辿っている。2章では「ガバナンス」という概念を軸に、科学技術と社会の関係性の変化、そして現在まで行われてきた取り組みについて述べている。続く3章では科学への幻想とその不確実性、そして4章と5章では、価値中立性などの科学技術のもつ様々な問題点を中心として、現代における社会との非常に深い相互作用について歴史上の問題例を挙げながら論じている。7章と6章では、まとめとして一体これから私たちがどのようにして舵取り──つまりガバナンスを意識していくべきなのか、という方法論が展開されていく。

選択肢の一つとしての科学技術

 私は本書を、科学なんて自分には関係ないと思っている人に読んでほしい。前述した通り、幼いころの私はドラえもんの実現を願い、科学に夢を見ていたわけだが、それは科学というものの実像を知らなかったからだ。著者も同様に幼少期に訪れた大阪万博に夢と未来を抱いていたが、現実はそう上手くはいかないということに万博からの40年を経て気付く。そして「科学技術は社会問題である」という過去の自分とは正反対の考えを論じる。結論を大まかに要約すると、皆が考えるほど科学は完璧でないし、何でもかんでも解決できるわけではないという、いわば当たり前のことである。その他多くの歴史的事例や、現在の社会事項も絡められながら文章は進んでいくのだが、どこか親しみを覚える一人称の文章も相まって、さらりと読み進めることができる。

 上記で述べたように、「科学は完璧ではない」という事実は当たり前のように思われるが実は科学を扱う上で非常に重要で且つ忘れてはならない事であり、本書にはその「当たり前」を見落としてしまった社会によって引き起こされた数多くの社会問題が取り上げられている。私自身も大学で科学というものの一端を学ぶようになってようやく、世間や幼少期の自分が想像する科学とのギャップをしっかり理解するようになった。想像していたより何倍も科学は不確実なものだし、間違いも存在する。それまで正しいとされていた考えがひっくり返ることもしばしばだ。科学とは本来そういうものなのである。そういうものを実験室の外に出すとなれば尚更不確実になるに決まっているのだが、そのことを忘れて、科学に完璧を求めてしまう人は意外と多いのではないだろうか。しかしその考え方は、科学との向き合い方として正しくない、と筆者は述べる。本書では例として、地震予知への期待や水俣病に対する政策などが挙げられている。そもそも世の中には科学では解決できない問題が沢山あるし、答えの出ない問題の方が圧倒的に多い。時には解決策すら存在しないこともある。だから私たちは常に、それが果たして科学で解決できる問題なのかどうか、そもそも解決法のある問題なのか、自分たちの目で見極めなければならないのだ。科学技術はあくまでも選択肢の一つであり、決して全てではない。利用するには、更なる問題が発生するリスクとの賭けという名の実験と、多大なる妥協が必要になる。科学技術という夢想に胡坐を掻いていても、問題に怯えて目を逸らし続けていても、望む未来はやってこない。そんな普通のことを、私も本書を読んで思い出すことが出来た。

変容していく科学

 しかし本書が書かれたのが2010年ということもあり、いくつかの点でやや今の時代にミスマッチしている感も否めなくはない。AIの急速な進歩やコロナ流行、人口爆発などによって私たちの世界は本書が出版された時代から変容している。社会はより複雑化し、科学はより専門的になった。第6章と述べられているような知的協働のアクション・チャートやインターネットの活用法、第7章で触れられている公共空間の形成などにおいても、今の時代に適応するには少し前時代的な部分が見られる。特にSNSについては現代のような爆発的な影響力を加味しておらず、どちらかというと互いにメッセージを参照しあえる「相互参照」の観点を中心に論じており、SNSそのものが知的協働の組織になりうるとは考えられていない。また、前述したような「答えのない問題」に関しても基本的には専門家と一般人の交流、政府と国民の交流など、人と人の話し合いに限られていて、AIの台頭による解決への新たな辿り着き方などは考慮されていない。時代と共に状勢や環境が移り変わっていくのは仕方のない事であるが、今この時代に著者が同じテーマで本を書いたとしたらどのような内容になるのか、気になるものである。

ドラえもんと歩む未来

 誰もが知っているドラえもん。私はこのキャラクター自身が科学そのものを体現していると思っている。彼は素晴らしい秘密道具を沢山持っているけれど、時には失敗だってする。ドラえもんも完璧じゃない。というか、彼はそもそも不良品なのである。それでも、のび太くんを始め、様々な人と関わり合いながら彼は彼らと生きていく。そんなドラえもん達のように、私達は科学と歩んでいかねばならない。同じ失敗を繰り返さないように、よりよい未来を作れるように。世の大半の人は、恐らく科学というものに人生の中で深くは関わらない。生活する中で、遺伝子を操作したり、原子を衝突させたりはしない。科学とはその道のエキスパート──科学者たちのものだ。そう思っている人も多いだろう。本書はきっと、そんな皆さんの科学へのイメージをガラリと変えてくれるはずだ。まずはそこから。それから、どんな風に科学と歩んでいくべきなのか、そのために何をすればよいのか、皆で一緒に考えてみよう。ドラえもんはもう、私達と共にいる。秘密道具を使うのはいつだって私達なのだ。

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