まだまだ知られていない菌類の世界を明らかにしたい
「菌類」と聞いたとき、多くの人が思い浮かべるのは何でしょう。
道端に生えていたり食卓に上がったりすることもあるキノコでしょうか。食べ物をうっかり放置しておくと生えてくるカビでしょうか。キノコとカビの見た目が全く似ていないように菌類は非常に多様なグループです。菌類は現在およそ10万種が知られていますが、中には肉眼で確認することが難しい種もおり、実際には地球上に150~500万種が存在していると試算されています。
今回はそんなまだまだ知られていない菌類の世界を研究する、国立科学博物館植物研究部にお勤めの細矢剛先生にお話を伺いました。
細矢先生が発見者! ヨーロッパの木が枯れる病気の原因菌
細矢先生は長年ビョウタケ目という菌類の分類群の研究をなさっています。ビョウタケ目は菌類の中でも大きなグループで、特に目に留まりやすいものはいわゆるチャワンタケ類に属するグループです。しかし菌類の研究は動物や植物など、目につきやすい生物と比べて遅れている部分があります。そこで菌類の研究は人類にとって重要である、と先生が思われたエピソードをご紹介します。
細矢先生は日本の菌類を全て記載することを目的としていらっしゃるため、これまでに様々な菌類を発見してきました。それらの菌類の中には人々の生活に大きな影響を与えている種も含まれています。その一つとしてセイヨウトネリコの病原菌がありました。
1990年代の半ばからセイヨウトネリコの立ち枯れが急速にヨーロッパ全域に広がり始めました。セイヨウトネリコはヨーロッパでは木材や建材として利用されている重要な樹木です。それが突然枯れ始めたのですから大事件で、樹病の研究者たちはこの原因を突き止めようとしました。そして判明したのが菌類の仕業だということです。この病原菌は新種のカビChalara fraxinea として記載されましたが、後にHymenoscyphus pseudoalbidus と改められました。この学名に用いられている“pseudo”とは“偽”という意味で、既に知られていたH. albidusに似ているということを示しています。
一方、日本では、1993年に国内で初めて発見された種として、細矢先生がH. pseudoalbidusをLambertella albida として報告していました。この菌はH. pseudoalbidusと同じ属におかれ、H. albidusとしても知られています。興味深いことに、この種は日本では樹病を引き起こしません。そのため、ヨーロッパのH. pseudoalbidusと同一なのではないかということが海外の研究者によって指摘されたのは、日本での発見から18年後の2011年でした。そして、2012年に細矢先生の調査により、日本のH. albidus が実はH. pseudoalbidus であることが判明し、ヨーロッパで樹病を引き起こしているのはアジアからの侵略的外来種だったということが判明しました。その後この菌は中国や韓国でも発見され、この説は現在も支持されています。なお、現在はH. pseudoalbidus の学名が変わり、H. fraxineusとなりました。
ではどのようにしてこの菌はヨーロッパに移入したのでしょうか。その謎を解き明かすべく、現在、先生は世界各地の研究者と協力して集団遺伝学的な解析を行っています。
世界中の生物の情報を集める機関に貢献
細矢先生のもう一つの重要なお仕事は、世界中の生物の情報を集める機関の日本支部代表として、日本の情報を収集することです。先生はGBIF(Global Biodiversity information Facility、地球規模生物多様性情報機構)の日本国内での活動を担う組織、JBIF(Japan Node of Global Biodiversity Information Facility、地球規模生物多様性情報機構日本ノード)で活動されています。GBIFは世界各国の研究機関が標本情報や観察情報を提供し、その情報は誰でもホームページからダウンロードして利用することができます。細矢先生のJBIFでの仕事はGBIFへの日本国内の情報提供と、その情報を提供してくれるようにGBIFの活動目的とそのデータ活用を普及することです。個人がそれぞれ持っている情報をみんなで合わせれば大きな価値のある情報になります。このことを多くの人に伝え、情報を提供してくれる人を増やす必要があります。
先ほどのセイヨウトネリコの病の研究を例としますと、Hymenoscyphus pseudoalbidus が原因菌だと判明し、その後日本で記載されたH. albidus が実はH. pseudoalbidus であり、この菌はアジアからヨーロッパに移入したことがわかりました。そして現在はその移入経路を解明するための研究が行われています。これらは細矢先生をはじめとする世界各地の研究者が情報を提供し合った結果導き出すことができたものです。世界中の生物に関わる情報が増えれば増えるほど、これまで謎だったことが解明されていくでしょう。
JBIFへの情報提供は研究者に限られたものではありません。JBIFが集めた情報のうち菌類ではアマチュアの方が集めたキノコ標本などが多く貢献し、全体ではバードウォッチングの占める割合が高くなっており、研究者よりもアマチュアの方の力が大きく支えていることがわかります。しかし研究者はGBIFやJBIFに収集された情報を活用して研究を行っていますが、アマチュアの方などは利用する機会があまりないと言います。細矢先生はこうした一般の方にも情報提供の利益を受けられるシステムを作りたいとおっしゃっていました。
自分がしたい仕事って何だろう…
細矢先生は現在では国立科学博物館にお勤めですが、最初は民間企業で菌類の研究をしていました。しかし13年目に転機が訪れます。研究職からマネジメントに移動になったのです。大学時代に学んだ知識を生かせる職業として研究職には満足していましたが、マネジメントは菌類と全く関係のない現場でした。移動してから2年ほどお勤めされ、仕事にも慣れて楽しくなってきましたが、大学で学んだことを生かしたい思いは消えず、自分はこれからもここで働いていくべきなのか考えたと言います。自分が学んだことを生かせる仕事を探していると、国立科学博物館の公募が出ていました。ダメもとで応募してみたところ、見事合格し、今の職に就きました。企業と研究機関では考え方が異なる部分があり、例えば、
大学では研究室間で明確に実験器具の所有を分けていますが、企業では実験器具は企業のものとして研究室間で共有していました。民間企業を見てきたからこそ、現在の仕事に生かされていることもあるそうです。
器用な人であれ
最後に細矢先生に研究者を目指す方々へのメッセージを頂きました。「常に種を播き続けることが大事。色々なことに興味をもって情報をたくさん集めて、視野を水平に広げていく。でも研究は深く狭くやらなくちゃいけないから、このことを忘れないで両立させるようにする」。もう一つは、「研究だけしかしないんじゃなくて、論文を書いたり発表したり、研究の重要性を伝えるために普及活動をしたり、本を書いたり、イラストを描いたり。一人でたくさんのことを器用にできないといけない。難しいかもしれないけど今の時代はある程度そういうことも必要だと思います」と、語ってくださいました。先生は筑波大学生物学類出身ですので、もしかしたら博物館での勤務は進路を考える際の一つの例として考えることができるかもしれません。
【取材・構成・文 柏木志乃】