紹介書籍『微生物の世界』
書評 「微生物の宣教師」による貴重な微生物写真集
とことん厳密さを追求しようとする学問の世界においても、様々な理由によりその語義が曖昧になってしまう用語は少なくない。「微生物」などという言葉は、その最たる例であるだろう。
その曖昧さが手伝ってか、一般に「微生物」という生き物について知られていることは少ないようである。炭疽菌、ツボカビ、ユーグレナ、エイズウイルス――ニュースになったり話題になったりした生物ですら、その姿をはっきりと思い浮かべることのできる人はそう多くはないはずだ。ましてや名前も知らない微生物のことなぞ、想像もつかないだろう。
そんなあなたの世界を視覚からぐっと押し広げてくれるのが本書「微生物の世界」である。
序文において本書の編集長である宮道氏は、製菓会社退職を期に第二の人生は「微生物の宣教師」になろうと決めたと述べている。その言葉通り、本書は雑多なものが入り混じる「微生物の世界」を知るための玄関口として非常に良い書物となっている。何より読者が微生物に対して無知であればあるほど、ページをめくるたび大きな衝撃を受けるはずである。
目を楽しませる微生物の写真の数々
本書は第一部から順番に原核生物、菌類、微細藻類、ウィルスの順番にページが割かれており(うち微細藻類については筑波大学に勤務されていた井上勲先生が執筆されている)、それぞれその分類群に属する微生物の写真が実に計1000枚を超えて掲載されている。
実際に第一部を開いてみると、原核生物の大まかな説明が3ページに渡って続いた後で、迫力のある大きな大腸菌の電子顕微鏡写真が目を引く。カプセル剤のような細胞から複数本の鞭毛がうねりながら伸びるその様は抽象的なアートのようでついまじまじと眺めてしまう。ページをめくる度にそんな魅力的な微生物の写真が次から次へと目に飛び込んでくる。
このように本書には各パートに膨大な数の微生物の写真が掲載されており、これが本書の最大の特徴になっている。A4サイズと大判であることもあり、一つ一つの写真は大きく、また各分野の研究者選りすぐりの写真が集められている。そのため、どれもインパクトがあり見ごたえがある。
ここで、ある一枚の写真に目を留めてみたい。それは菌類のページ、接合菌類の一種である、ミズタマカビを写したものである。
時に美しく時にグロテスクな微生物の姿
写真に写っているミズタマカビはいかにも儚げで、美しい。透明で細い柄には無数の水滴が連なるように付着しており、丸く膨らんだ先端部には黒い帽子のような胞子嚢がちょこんと乗っている。私が本書を読んでいて最も心惹かれた写真のひとつである。
この生物は糞性のケカビである。つまり、動物の糞の上に発生するカビということだ。
もしかしたらこれを読んでおられる方は顔をしかめるかもしれない。しかし生物は人間の愛憎とは関係なくその生存戦略をたくましく展開しているのだ。そして体が小さく生活環のサイクルが短い微生物はよりニッチな環境に適応しているものが多いのである。そう捉えなおすとこの糞上に生える美しいミズタマカビの写真は微生物の魅力をよく表している一枚であると感じられる。
本書に掲載されている生物はこれ以外にも寄生生物や病原菌などグロテスクな一面がある生物も多い。これらは翻って彼ら微生物のぞくぞくとした魅力となっているのである。
分類群の説明はやや難。情報の更新にも要注意
一方で各分類群の説明についてはわかりづらいところがあった。学問性を担保する上では仕方のないことかもしれないが、人名や分類名、生物の形質に関する用語が入り乱れると初学者は混乱してしまうだろう。また写真と示されている分類表との照合がしにくいチャプターもあり、これはやや不親切ではある。
また、発行日が2006年7月末とやや古いため、情報の更新があることも注意が必要だ。例えば菌類のチャプターにおいて偽菌類の一種として紹介されている「シゾキトリウム・リマシナム(Schizochytrium limacinum)」は現在は「オーランチオキトリウム・リマシナム(Aurantiochytorium limacinum)」と呼ばれている藻類である。これは「シゾキトリウム・リマシナム」を含む「シゾキトリウム(Schizochytrium)」属の一部が2007年に系統的に独立し「オーランチオキトリウム(Aurantiochytrium)」属と新たに命名されたため、学名の前半、属名の部分が置き換わったことによる。このような情報の更新は特に「微生物」学のような進展の早い分野では避けられないことだ。もし本書を読んでいて気になる生物がいたのならば、より最新の情報を調べてみることをお勧めする。
初学者にとって貴重な「微生物の世界」の玄関口
私は今、大学の研究室で微生物の分類と進化について研究を行っている。だが、そんな私でも微生物の多様な世界に目を向けるようになったのは大学に入り、関連した授業を受けてからであった。このように微生物の世界は非常に魅力的な反面、なかなか知る機会が少なく、一般に周知されていない現状がある。
そこで私は一人でも多くの人に微生物の世界を紹介するべく、微生物の世界へ初めて触れる人にその魅力をわかりやすく、より直感的に伝えられる書籍はないか様々探し回った。
しかし哺乳類や鳥、虫のような高等動物や、草や木のような高等植物に対して微生物について書かれた日本語の書籍は数も少なく、またそのほとんどがかなり専門的な知識を扱ったものであった。
そのような中で、雑多な微生物の写真を集め、それぞれの生物の解説はひとまず置いて、まずは見た目から微生物の魅力を伝えようという本書の存在は実に貴重であるように思われる。
もしあなたが微生物といういまだ知りえぬ世界に少しでも興味があるのなら、本書は必読である。ぜひとも本書を手に取って、宮道氏をはじめ、「微生物の宣教師」たちの送り出す有象無象の「微生物の世界」を味わっていただきたい。
書名:『微生物の世界』 出版社: 筑波出版会 |
【取材・構成・文 筑波大学大学院 博士前期課程1年 加藤雄大 】