タンパク質の構造から分子機構を解き明かす
~胃がんを引き起こすピロリ菌産生物質『CagA』の正体を求めて~ | 生物学類生による詳細ページ  

メニューを開く

border border border border border

生物学類生によるページ

つくばの研究紹介

タンパク質の構造から分子機構を解き明かす
~胃がんを引き起こすピロリ菌産生物質『CagA』の正体を求めて~

鈴木喜大 博士研究員

 日本人の死亡原因第1位はがんである。その部位別死亡者数の第1位は肺、第2位が胃となっており、その発病メカニズムの解明が急がれている。そんな中、最近、ピロリ菌が産生するタンパク質である『CagA』がその鍵を握ることがわかってきた。今回、高エネルギー加速器研究機構(KEK)物質構造科学研究所の構造生物学研究センターでこのCagAの構造の研究に取り組んでいる鈴木喜大(すずき のぶひろ)先生に、CagAの構造解析の必要性、現在の研究の進捗状況、未来の生物学徒へのメッセージなどを伺った。

<姿の見えない”天然変性領域”>

 近年、ピロリ菌が産生するタンパク質である『CagA』が胃の粘膜細胞の細胞膜の裏側に結合し、ヒトが元々持っているタンパク質と結合してその働きを阻害または異常に活性化し、その結果正常な細胞内シグナルが撹乱され細胞のがん化が引き起こされていることがわかってきているらしい。このCagAに立体構造という側面からアプローチし、その作用機構のさらなる解明に取り組んでいる研究者達がいる。KEKの鈴木喜大先生もその一人。構造生物学研究センターのセンター長、千田俊哉教授が産総研時代、同研究所の佐藤主税先生、東京大学の畠山昌則先生と始められた研究プロジェクトの一環として、研究を進めている。 

この作用機構の解明の上で鍵を握るのがタンパク質の「天然変性領域」と呼ばれる部分だという。天然変性領域とはタンパク質の中で普段は一定の立体構造を取らない領域のことである。CagAの場合、この領域がある一定の形態をとるとき他のタンパク質との結合状態が変化し、がん化などのシグナルのオンオフや強度が変化する。

 CagAは一定の構造を取る領域(N末端側のCagA-N領域)とこの天然変性領域(CagA-C領域)から構成されている(図1)。CagAが折り畳まれて立体構造を作る際、天然変性領域がCagAの一定の構造をとる領域と「投げ縄構造」と呼ばれる構造をとるとき(図2)、ヒトの胃の細胞の中で重要な働きを持つ他のタンパク質との結合が安定化し、その結果細胞のがん化が促進されてしまう。 

 このように細胞のがん化メカニズムに大きな役割を果たす天然変性領域。この領域の構造変化がわかればタンパク質の作用機序の解明に大きく貢献するが、一定の構造を取らないだけにその解明は一筋縄ではいかない。鈴木先生はこの問題に対し、NMR(Nuclear Magnetic Resonance、核磁気共鳴)という構造解析の手法を用いて立ち向かっている。これは構造を解析したいタンパク質を精製し、強い磁場の中でラジオ波を照射し、得られたスペクトルのピークとアミノ酸配列をもとに立体構造を計算によって導き出すという手法であり、一定の構造をとらないため結晶化することが難しい天然変性領域の構造を特定するのにとても有効な手法である。 

 鈴木先生はこのNMR解析を用いて、CagAの投げ縄構造の詳細を解明し、その特異な構造の秘密を解き明かそうとしているのだ。天然変性領域であるCagA-C領域と、一定の構造をとる領域のCagA-N領域はヘリックスバンドル構造という構造によって結合しているらしいことがわかっているが、どうして安定化するのかについては詳しくはわかっていない。 

現在はタンパク質の精製が終了し、予備実験として分子の大きさや大まかな形状を、放射光による解析も含むさまざまな方法で調べ、これまでの構造解析データと矛盾しない結果が得られているという。しかし、ここまで来るまでにはおよそ2年もの歳月を要し、その期間の大半は効率良くタンパク質を大腸菌に生産させるための条件探しに費やしたという。「最初からこれ(大腸菌)に出会っていればすぐに結果が出たのですけどね」と淡々と語る鈴木先生の表情には、それでも苦労の跡が滲む。今後はとれたタンパク質が解析に使えるか検証し、さらに研究を進めていくという。

<未来の生物学者へ>

 今はKEKに身を置いている鈴木先生だが、高校卒業後はなんと単身イギリスへ向かい、現地の大学で生物学を学んだという。イギリスの大学への進学を決めた理由は、「イギリスに興味があったから」。普通の高校生であればいきなり海外の大学へ行くというのは相当な覚悟と決心が必要なのではないかと思うが、そんな単純な理由だけでイギリスへ渡ったそうだ。鈴木先生曰く、英語もそこまで堪能だったわけではないが、行ってみれば案外何とかなってしまうということなので、もし今高校生で海外の大学に行くのもアリかもと思っている人は是非前向きに検討してみるといいだろう。 

 イギリスに渡った理由からもわかるように、鈴木先生の言葉からは「興味」を大事にする姿勢が伺える。高校生で生物学を志している人へのアドバイスをお願いすると、先生はこう答えた。「理想はやはり、自分の興味のあることを研究テーマにすること。自分の興味のあることであれば研究を楽しめ、多少辛くても頑張れる。裏を返せば、興味の持てそうな研究ができる環境に身を置くことが大事」。自身の興味を大事にし、これまでの研究生活を送ってきた鈴木先生の実感がこもった言葉である。これから本格的に生物学の道に入ろうとしている高校生には、自分の興味を尊重し、臆することなく進んでいって欲しいというのが、先生からのメッセージだ。 

【取材・構成・文 筑波大学 生物学類3年 市村春嘉】

PROFILE

鈴木 喜大(すずき のぶひろ) 
大学共同利用機関法人
高エネルギー加速器研究機構
構造生物学研究センター
博士研究員

大学時代に構造生物学に興味を持ち、農業生物資源研を経てKEKへ。現在はX線やNMR法を用いてピロリ菌生産タンパク質『CagA』の構造解析を行っている。

※所属・役職は取材当時のものです

一覧に戻る