森の歴史を遺伝子から推定する―ウダイカンバの研究を通して―
津田吉晃 准教授
「研究者になっていなかったら、間違いなくギタリストを目指していた(まだ目指している!)」と語る、菅平高原実験センターの津田吉晃先生。自慢のギターを片手に、豊富な海外生活経験に基づくエピソードも交えつつ、ご自身の研究テーマである「集団遺伝学」について語っていただきました。
DNA を読み解き、種の進化の歴史を推定する集団遺伝学
すべての生物は DNA を持っていて、その中には膨大な情報が含まれています。この遺伝情報を読み解き、ある生物種の進化の歴史や、生物集団の動態を推定するのが、集団遺伝学です。「高校生の頃は考古学や人間の農耕文化の歴史、それらを取り巻く環境に興味がありました」と語る津田先生が集団遺伝学を本格的に始めたのは、大学院生になってからのことでした。
東日本全域に及ぶサンプリング
津田先生が最初に研究対象として着手したのは、カバノキ科カバノキ属のウダイカンバ(Betula maximowicziana)です。北海道から東北、中部地方の冷涼な山地に自生する樹木で、1 立方メートルあたり数百万円もする超高級木材にもなります。一方で、伐採対象が天然林であるため、健全なウダイカンバ林の減少も懸念されています。このような状況で持続的に資源を利用するためには、地域間の系統の違いや、遺伝構造などの基礎的な情報をもとにした森林管理方法を行う必要があります。しかし、ウダイカンバに関するこうした情報は皆無でした。そこで津田先生は、北海道から中部地方の山林に足を運び、最終的に合計 48 地点からウダイカンバの葉や枝を採取し、集団遺伝構造を解析しました。その結果、ウダイカンバの系統は北海道から東北北部にかけて分布する北方系統、東北南部から中部地方にかけて分布する南方系統と、北方系統と南方系統の境界となる東北中部に分布する中間系統の 3 つに分かれることが明らかとなりました。
ウダイカンバの系統は一気に 3 つに分かれた
集団遺伝学的な研究を行う上では、対象とする種や集団を取り巻く生物地理学的な要因を検討することが必要不可欠です。山脈や河川といった地形的要因や、氷期・間氷期に代表される気候変動が障壁となって、種や属・科レベルでの分化をもたらすことがあるからです。
図 2 のように中間系統が分布していた場合、一般には北方系統と南方系統の境界線に地理的な障壁が存在しており、地形や気候変動といった要因でそれが消滅した後に北方系統と南方系統双方の二次的な遺伝的交流が起こり、その結果として中間系統が生じたと考えることができます。実際に津田先生も先行研究の論文ではそのように考察していました。ところが、最近の研究でこのパターンについて詳細に検証した結果、そうではなく、ウダイカンバの中間系統は、北方系統と南方系統と同時に共通祖先集団から分化したことがわかりました。
この事実の鍵を握るのが、「コアレセント理論」という考え方です。例えば、A さんと B さんという赤の他人同士がいたとしても、彼らの先祖を何世代も遡ると、やがてある時期に共通祖先にたどり着きます。この過程をモデルにしたものがコアレセント理論で、この理論と遺伝情報とを組み合わせることにより、ある集団における進化の歴史を推定することができます。
このコアレセント理論に基づいたシミュレーションでウダイカンバ 3 系統の過去の動態を解析した結果、地球が最終氷期最盛期に向かって寒冷化していた時期(推定では約 3 万年前)に同時に 3 つの系統に分かれたことがわかりました。また、これについては中間系統の遺伝的組成は 2 系統の混合により形成されたのではなく、もともとそのような組成が祖先集団に含まれていたと考える“祖先多型”で説明することができます。
今から 10 年ほど前までの集団遺伝学では、種内系統の数や、集団の多様性が高いか低いか、など現在検出できる遺伝構造しかわかりませんでした。しかし、生態学のシミュレーションや GIS (地理情報システム:コンピュータで処理した様々な地理的・空間的な情報を利用して、地図上に表現したり数理的に解析したりする仕組み)の技術が発展したことにより、種分布モデルあるいは生態ニッチモデルというモデルを用いることにより種の過去の分布を復元できるようになりました。このような過去の環境や気候変動を復元する技術と、コアレセント理論を用いた集団動態の推定結果を組み合わせることで、森林がどのような歴史を持ち、どのように分布を変化させたのかわかるようになります。
「今後は、地球温暖化が森林の分布にどのような影響を与えうるのかというような、未来の森林分布の変動を推定していきたいです。」(津田先生)
国境を越えて森林の遺伝構造を解き明かす
これまでに紹介してきたのは津田先生が学生、研究員だった頃の日本国内での研究でしたが、「生物に国境は存在しない、世界をみてみたい」と感じた津田先生は、国や地域といった垣根を超えたより大きなスケールで研究を行うため、関連研究が進んでいたスウェーデンに渡りました
そこでおもに取り組んだのは、北半球の冷涼な地域に広く分布する、カバノキ属 6 種を対象とした研究です。サンプリングはヨーロッパからユーラシア大陸を横断して日本にまで至る広範囲で行われています。これまではどの種がどこまで分布しているのか、例えばどこからどこまでがヨーロッパシラカンバ(Betula pendula)でどこからシラカンバ(B. platyphylla)の分布がはじまるのかわかっていませんでした。しかし、この研究の結果、ユーラシア大陸でみると、ヨーロッパ~シベリアに分布する種とシベリア以東に日本まで分布する種の東西の境界はオビ川からバイカル湖周辺にかけての地域であることがわかりました。またこれら地域の集団からは複数種由来の遺伝的組成をもつ個体が存在していることから、これら地域はユーラシア大陸の東西に分布する種の交雑帯でもあることが明らかとなりました。
津田先生はスウェーデン生活 4 年のほか、イタリアでも約 1 年間生活し、ヨーロッパ諸国、ロシアをはじめ、中南米、中国、インドなどの国々の研究者と、それぞれの地域に分布する植物を対象に、精力的な研究に取り組んできました。
どこの国でも、コミュニケーションは大事
2015 年の夏に筑波大学菅平高原実験センターに着任した津田先生は、オフィスに 1 台のテーブルを設置しました。オフィスはどことなく北欧の装いを感じさせる、おしゃれな空間になっています。
津田先生が滞在していたスウェーデンには fika(フィーカ)と呼ばれる、日本でいうお茶の時間に相当する習慣があります(1 日 2 回、10 時と 15 時からそれぞれ 30 分程度行われます)。スウェーデンの人たちはこれをとても重要視しているようで、「ケーキを用意する当番の人が前日に仕事を早退しても、誰も文句を言いません。なぜなら、みんな fika のメリットを認識しているからです」(津田先生)
慣れない海外での研究生活を始めたばかりの津田先生にとって、コミュニケーションを大切にする研究所内の雰囲気は非常に印象的でした。そして、このような交流を通して多くの研究仲間や友人と出会い、相互理解が深まることにより、そこで得たものを数多くの研究に活かすことができたのです。
「研究所に必要なのは、高価な実験機器ではなくお茶台だった、というのはよくある話」と冗談交じりに語る津田先生。オフィスに導入されたテーブルには、人との関わりがあってこそ良い研究につなげられるのだという、津田先生の思いが込められています。
最先端の研究にこそ、温故知新の精神が必要
津田先生のもとには、しばしば外部の研究機関や大学から、研究者や学生、留学生が訪れます。ところが、筑波大学に着任してから日が浅く、また普段は菅平にいるため本学の学生との接点があまりありません。津田研ではどのような研究ができるのでしょうか。
「集団遺伝学、生物地理学、森林文化や歴史に興味がある学生や、フィールドワークが好きな人はもちろん、コンピュータが好きな人も歓迎です。菅平に住むのはちょっと…という人でもお気軽に相談してもらえたらと思います」(津田先生)
津田先生の研究に限らず、近年は遺伝情報やコンピュータを駆使して生物の進化や歴史を読み解こうとする研究が盛んに行われています。このような研究で得られるデータの量は膨大で、しばしば、それを持つことに満足してしまうことがあります。しかし、多くの情報を持っていても学問的なバックグラウンドがないと正しく扱うことができません。だからこそ、「新しい技術を取り入れることも大事ですが、同時に古典を学んで知識を習得することも必要不可欠です」と津田先生は強く主張します。
学校での定期試験、あるいは入学試験のように、未知の問題を前にしたときに頼りになるのは、これまでに自分が学んできた経験や知識です。それと同様に、何か新しいことを始めるときに私たちの力になるのは、先人が残してきた言葉やノウハウです。このような温故知新の考え方は、研究に限らず、私たちの身の回りでも、きっと役に立つはずです。
参考文献
Tsuda Y, Nakao K, Ide Y, Tsumura Y (2015) The population demography of Betula maximowicziana, a cool-temperate tree species in Japan, in relation to the last glacial period: its admixture-like genetic structure is the result of simple population splitting not admixing. Molecular Ecology 24: 1403–1418.
Tsuda Y, Semerikov V, Sebastiani F, Vendramin GG, Lascoux M (2016) Multispecies genetic structure and hybridization in the Betula genus across Eurasia. Molecular Ecology, DOI: 10.1111/mec.13885.
岩崎貴也・阪口翔太・津田吉晃 (2016) 分子系統地理学に生態ニッチモデリングがもたらす新展開と課題. 植物地理・分類研究. 第64 巻, 第1 号, 1-15.
【取材・構成・文 生物科学専攻博士前期課程2年 武藤 将道】