わき道から見えてきたもの ― 生殖細胞を生み出すメカニズム ―
小林悟 教授
子孫へと引き継がれ、新たな命を芽吹かせる生殖細胞。かれらは次世代を生み出すことが出来る唯一の細胞であり、私たちの遥か過去の祖先から、連綿と生命をつなぎ続けてきた存在です。そのような大事な役割を持つ生殖細胞は、どのようにして形成されるのでしょうか。今回は、ショウジョウバエを用いて、生殖細胞の形成メカニズムという生命の本質を研究されている、小林悟先生に取材を行いました。
一見遠回りにも見える、小林先生の“わき道”からのアプローチ。そこから初めて見えてきたものとは?
体細胞と生殖細胞の違い ― 死する細胞 不死の細胞 ―
私たちの体にある細胞は、皮膚や筋肉などを構成する体細胞と、精子・卵子などの生殖細胞の2種類に大きく分けられます。体細胞は生物の体の大部分を作っているものの、次世代へと引きつがれないため、個体の死とともにその役割を終えて、死に絶えてしまいます。一方で、生殖細胞は死ぬことなく、生殖を通して次世代へと引き継がれてゆきます。このように、運命の全く異なる2種類の細胞ですが、もともとはどちらもたった一つの受精卵から形成されています。では、これらの運命は、共通の細胞からどのようなメカニズムによって分かれるのでしょうか。
Nanosは生殖細胞の門番
ショウジョウバエの生殖細胞は、胚の後端部に存在する「極細胞」という細胞から形成されます。そして、移植実験によって、胚後端の極細胞質に局在している何らかの因子が、生殖細胞の形成に関わることがわかっていました。当時そのように極細胞質に局在し、極細胞に取り込まれるタンパク質の一つとして、Nanosが知られていました。しかし、Nanosはハエの腹部形成に関わる分子であると考えられており、生殖細胞の形成に関わるとは、誰も考えていませんでした。
そんななか、「Nanosは生殖細胞形成には関わらない」という定説に対して、小林先生は疑問を抱きました。そもそも、Nanosを失った胚では、腹部そのものが形成されず致死となるため、生殖細胞形成に関わるかどうかの検証はなされていなかったのです。そこで、小林先生はあえて「Nanosは生殖細胞形成に本当に関わらないのか?」という今までとは異なる、いわば“わき道”の視点からこの問題に着手しました。(図1)
この問題を解明するためには、生殖細胞形成におけるNanosの機能を調べなければならないのですが、前述の通りNanosを欠く胚は致死になってしまうため、単にNanosを欠失させるだけでは調べることはできません。そこで、小林先生はNanosを欠く極細胞を、正常胚に移植するという独自の方法で、Nanosの機能を明らかにしようと試みました。この方法であれば、移植先の胚では正常に発生が進むため、生殖細胞形成に限定したNanosの機能を検証することができるのです。
そしてその結果、Nanosを欠く極細胞は細胞死(アポトーシス)を起こして死滅すること、そしてアポトーシスに必要な遺伝子の機能も一緒に失った場合は、体細胞へ分化することが明らかとなりました。つまり、Nanosは従来の定説とは異なり、極細胞の細胞死や体細胞への分化を抑制し、生殖細胞へ分化させる、いわば「門番」のような役割も持っていたのです(図2)。
生殖細胞が自分で性別を決めていた
生殖細胞のもとになる始原生殖細胞は、発生が進むとオスでは精子に、メスでは卵子になります。この始原生殖細胞の性別決定は、体の性別によって、すなわち体細胞に依存して決定されていると考えられてきました。しかし、当時それが定説として考えられていたものの、証明はされていなかったことから、ここでも小林先生は「始原生殖細胞自身が自らの性別を決定するメカニズムはないだろうか?」と“わき道”から考えました。
そこで、小林先生は生殖細胞の核にある遺伝子を解析し、その中のSex lethal (Sxl) という遺伝子が、メスの生殖細胞では活性化しているのに対して、オスの生殖細胞では働いていないことを発見しました。また、オスの生殖細胞でSxlを活性化すると、卵子が形成されることが確認されました。つまり、定説とは異なり、始原生殖細胞自身が細胞自律的に性別を決定することができるメカニズムが、確かに存在したのです(図3)。
考え方の多様性 ― わき道からみつめる ―
小林先生の研究の原点となった言葉に、「幾何に王道なし」という言葉があります。小学生の時、不登校だった小林先生は、物理学者の叔父さんのもとで生活し、幾何の証明問題を教わって数か月間苦労して解を導き出したそうです。その中で、「幾何に王道なし」の言葉通り、答えを証明するための道は一つだけではなく、色々な道があることに小林先生は気付いたそうです。そのため、小林先生は研究において、「定説を疑い、わき道に入ってみる」ことを大事にされています。証明されていないものの、否定もできないため多くの人が信じ込んでいる“定説”。小林先生の研究は、どれもそんな“定説”から外れた“わき道”からスタートし、そこからいくつもの新しい概念が生み出されてきました。スタートからゴールを目指すのではなく、わき道に入ってみることで初めて見えてくるものもある、と小林先生は考えています。
「学生の皆さんには物事を自分なりによく考えて、人と違う意見を持つことを恐れないで欲しい」と小林先生は語られています。「最近はインターネットの普及によって情報を集めただけで満足する人が多い。そうではなく、まず集められる限りの情報を集め、それをもとに自分なりに頭で考える。そうやって自分の考えをもつことで考え方が身に付くし、意見の多様性が生まれる。そして、そこから皆と違う発見をすることが何より面白い」、小林先生はそう話されていました。
皆さんも、目の前の物事を常識にとらわれず、たまには別の角度から見つめてみてはいかがでしょうか。一見まわり道にも見えるその観点が、案外今までの定説をひっくり返すような、全く新しい概念を生み出すきっかけになるのかもしれません。
菌類学者であった小林先生のお父さんの使われていた顕微鏡。戦時中満州で研究されていた小林先生のお父さんが、帰国の際に接収されないようにパーツ1つ1つに分解してまで持ち帰ったという思い出の品。小林先生は、研究に行き詰まったり研究自体をやめてしまおうかと考えたりしたときにこの顕微鏡を眺めるそうです。「この顕微鏡からは、執念にも近い研究への情熱が伝わってくる」と小林先生は語られています。【取材・構成・文 筑波大学大学院 博士前期課程1年 網本壮一郎】