細胞性粘菌の多細胞化の秘密に迫る
漆原秀子 教授
生活史の中で単細胞生物と多細胞生物の2つの顔を持つ細胞性粘菌。この不思議な生き物で、比較ゲノムという手法を使って、生物進化における大きなステップとも言える多細胞化のルーツを探る漆原先生に、研究のお話や退官を控えた今のお気持ちを伺いました。
多細胞化のカギを握る細胞性粘菌
生物には、単細胞生物と多細胞生物が存在します。単細胞生物は、1つの細胞内で生命活動を行い、個体を維持しています。対して多細胞生物は、さまざまな種類の細胞が役割を分担してひとつの個体を形成しています。生物は、単細胞生物から多細胞生物へと進化を遂げて来ました。この生物の複雑化に働くカギとは、何だったのでしょうか。 漆原先生が研究対象としている細胞性粘菌は、そんな生物の進化における壁を乗り越え、単細胞と多細胞の2つの状態を行き来するユニークな生物です。餌のある状態では、単細胞アメーバとして分裂増殖をしていますが、飢餓状態に陥ると、この単細胞アメーバが集まり多細胞化します。そして広く胞子を散布するために、柄(え)細胞(さいぼう)と生殖細胞である胞子とに役割を分担し、子実体と呼ばれる「まち針」のような構造をつくります(左図)。元は皆同じだったアメーバが、子孫を残す胞子になるか、そのサポートをして死ぬ柄細胞になるか、その決定が行われることこそが、多細胞化の始まりだと漆原先生は考えています。 この子孫を残すものとそうでないものの決定は、もちろん私たちヒトでも行われています。そう、生殖細胞と体細胞の決定です。私たちの体をつくる細胞は、生殖細胞と体細胞に大きく分けることができます。このように、どんな高等な生物においても、その始まりを突き詰めていくと、子孫へ残すものとその継承をサポートするものに辿りつくのです。
変わり種、アシトステリウムに着目!
そこで漆原先生が着目したのが、柄細胞を作らず、すべてのアメーバが胞子になるアシトステリウムという種です。アシトステリウムは、柄の構造自体は持つのですが、それはセルロースのチューブから成るもので、柄細胞ではありません。アシトステリウムは、通常の柄細胞を持つ細胞性粘菌と比べて、胞子が少なく柄も短いため、柄細胞のような強い構造を持っていなくても胞子を支えることができます(下図)。漆原先生は、このアシトステリウムとモデル生物であるキイロタマホコリカビのゲノムを比較することで、単細胞生物が集合したときに、生殖細胞とそれ以外とに役割分担するしくみを突き止めようとしました。
この皆が胞子になって生きられるアシトステリウムが柄細胞を作らない原因として、柄細胞をつくる遺伝子を持たないことが考えられます。ところが、キイロタマホコリカビとアシトステリウムの遺伝情報を比較した結果、アシトステリウムは、初期に細胞の運命を決めるのに働く遺伝子数個以外は、キイロタマホコリカビで柄細胞をつくるのに働くとされる遺伝子のほとんどを持っていることが分かりました。この結果と、2種の系統関係から、漆原先生は原始的な細胞性粘菌は柄細胞を作る遺伝子を既に持っており、その後柄細胞を作る能力を失ったとするのが妥当だと判断しました。
カギとなるのは、遺伝子がはたらくタイミング
柄細胞をつくる遺伝子はあるのに、どうしてアシトステリウムは柄細胞をつくらないのでしょうか。遺伝子とその機能が実際に働く過程に、答えはありました。生物はさまざまな働きを持つ遺伝子を持っていますが、遺伝子はあくまでも情報で、それが「機能する」ためには、そこに書かれた役割を実行するタンパク質をつくらなければなりません。つまり、遺伝子があっても、実行役であるタンパク質がつくられなければ、その遺伝子は機能しないのです。そこで、今度は2つの種を飢餓状態に置いたとき、柄細胞をつくる遺伝子がどのようなタイミングでタンパク質へと発現しているのかを調べました。すると同じ遺伝子でも、その利用のタイミングが2つの種で大きく異なっていたのです。なかでも、キイロタマホコリカビでは早い段階で利用のピークを迎えているのに対して、アシトステリウムではピークが遅い段階にずれているという遺伝子のグループとその反対のグループが見つかりました。同じ遺伝子を持っていても、それが働くタイミングが異なることで、柄細胞を作るか作らないかが決まっていたのです。
これらの結果から、発生の初期に働く重要な遺伝子がなくなったことによって、その状態でなんとか上手く生き延びていくために、アシトステリウムは遺伝子の機能するタイミングを変更した、という考察を得られました。この研究で、多細胞化の謎の解明が一歩進みました。研究を終えた今、細胞性粘菌について、「こんな不思議な生物ですから、まだまだいろいろなことが分かってくると思いますよ。ぜひやってみてください。」と漆原先生は笑顔で語ります。
「最後にやりたい研究ができ、完成させられてよかった。」
研究人生を振り返って、専門ではないことばかりやってきたという漆原先生。「知らないということに関して、すごく無頓着だった。」と話します。元々、先生は宇宙物理学を学ぼうと京都大学の理学部に入学しました。生物学を専攻しようと決めたのは2年次の12月。そこから生物学のあらゆる分野をひたすら勉強されたそうです。その後も、専門外の配列データベース作りを任されましたが、「知らない」から「やれない」とは思いませんでした。「みんながやっていることを進めても面白くない。」そんな思いから始めたこのアシトステリウムの研究も、みんながやっていないからこそ、実験系をゼロから立ち上げなければならず、最初は随分難航したそうです。それでも、「知らないなら、勉強すればよい。」と考え、漆原先生は自分の知らない世界にどんどん飛び込んでいったのです。「色々なことをしてきたけれど、最後にこれ(アシトステリウムの比較ゲノムプロジェクト)があってよかったなと思います。やっぱり自分がやりたいものを見つけて完成させたから。」今年度いっぱいで筑波大学を退官される先生は、そう、ご自身の研究生活を振り返ります。
「これからは女性がどんどん研究をしやすくなる時代」
平成26年度現在、漆原先生は、筑波大学生物学類の中で唯一の女性の教授です。今よりも働く女性を支援する体制が少なかったことや、協力してくれる親戚が近くにいなかったこともあり、家事と仕事を両方こなすのは大変だったといいます。しかし、職場の人達に恵まれていたため、女性の研究者が少ないからといって苦労したことはなかったそうです。「私も経験したのですが、女性の割合が増えることで職場の雰囲気が変わります。これからどんどん働く女性が増えていけば、段々と社会も働く女性にとって良くなっていくと思うので、男女関係なく研究者やれますよ!」と、研究者を志望する女性へエールを送ってくださいました。
【取材・構成・文 筑波大学 生物学類 石坂望生】