溶岩の上でも生きられます~生態系回復物語~ | 生物学類生による詳細ページ  

メニューを開く

border border border border border

生物学類生によるページ

研究者をたずねて

溶岩の上でも生きられます~生態系回復物語~

噴火の光景といったら、みなさんは何を思い浮かべますか。流れ出す溶岩が周囲の森林を飲み込み、その上に火山灰が降り積もっていく…こんな感じでしょう。では火山噴火後、周囲の植物はどのように回復していくのでしょうか。まず荒れ地にコケが生えて、次にエノコログサ(いわゆる猫じゃらし)のような一年生草本、最後にスダジイやタブノキのような樹木が生える。このように小さい植物から大きな植物へ変わっていくイメージを持つのではないでしょうか。高校の授業ではこの一連の流れを「一次遷移」と習います。しかし実はこの流れ、現実の遷移とはだいぶかけ離れています。今回は意外と知られていない火山後の植生遷移について、上條先生に伺いました。

 

教科書の内容は嘘だった!?火山噴火後の植生遷移の真実

 三宅島は伊豆諸島の島々の1つです。三宅島にある火山は数十年に一度のペースで噴火を繰り返しており、直近の2回だと1983年と2000年に噴火をしています。1983年の噴火では溶岩によって、周囲の森林が破壊されました。そして冷えた溶岩の上に最初に生えてきた植物は、なんとコケではなく樹木の一種であるヤシャブシでした。教科書では土壌が形成されてない場所にコケや地衣類が生え、その後土壌の発達に伴い、まずはススキやイタドリのような草本植物、次に植物の栄養分となる窒素を大気中から取り込むことができるヤシャブシが生え、最後にタブノキなどの樹木が生えると説明されています。しかし、「コケや地衣類はおろか一年生草本すら生えず、いきなりヤシャブシが生えることはそこまで不思議なことではない」と上條先生はおっしゃいます。

コケは水分が十分にある場所に生育します。新しい溶岩は保水性が低く、コケの生育に適していません。また、一年生草本はいくら草刈りしてもすぐに生えてくることから、生命力の高いイメージを持っている方も多くいるかもしれませんが、火山噴火後の遷移初期に現れることはまずないそうです。「溶岩の中の養分はそう簡単に取り出せるものではなく、何年もかけてじわじわ大きくなる植物でないと生きていけない。だから一年で命をまっとうする一年生草本は溶岩の上には生えてこない。」と上條先生はおっしゃいます。そのため、空気中の窒素を利用することができ、土壌中の窒素が少ない土地でも生育可能なヤシャブシが、一番初めに生えてくるのです。

 

 

なぜ溶岩の上に森ができるのか?

上條先生は卒業研究の時から伊豆諸島でスダジイやタブノキのような常緑広葉樹の世代交代についての研究をしていて、これらの植物がいつ溶岩の中に出てくるのか興味を持っていたそうです。ただ、噴火して溶岩が流れた後に植物が生えることは、当たり前の事実として受け止め疑問にすら思っていなかったと言います。そんな上條先生の視野を広げたのは、溶岩の上にできたヤシャブシの森林に調査に来て、溶岩の隙間に溜まった落ち葉を手に取ったある1人の先生の言葉だったそうです。

「なんでこれで木が生えるんだ?」

この言葉を聞いた時、先生は溶岩に植物が生えるメカニズムについて、わかっているようでわかっていなかったことに気が付いたと言います。“すべてには理由があるはずだ”、この言葉を信条に、土壌や土壌中に含まれる養分の研究を始めることとなります。

 当時の研究で至った結論は、①オオバヤシャブシなどの大気中に含まれる窒素を利用できる植物が溶岩上に生えるということ、②リンやカルシウムといった植物の成長に欠かせない養分が溶岩の中にたくさん含まれているということです。一見荒廃した土地に見える溶岩中に、多くの養分が含まれていたのです。この2つの発見により、三宅島の植生遷移がとても早く、かつ溶岩上にいきなりヤシャブシの森ができる理由が明確になったのです。

 

三宅島から全国へ~三宅島発の新たな取り組み~

三宅島の生態系回復メカニズムを調査しつつ、上條先生は島の自然保護活動にも力を入れています。その活動の一環で、三宅島の会社、東京都、森林総研が開発していた新たな道具に着目しました。その名も“東京クレセントロール”。ワイヤーを丸めて三日月形(クレセント)に作られた低コストで持ち運びも容易な緑化資材です。元々は火山灰の堆積により三宅島の地表が崩れやすくなっていたことから、その補強も兼ねて作られた装置ですが、現在は秩父や広島などで山の土砂流出を防ぐ目的でも使われています。土砂の流出を防ぐために大きな谷に砂防ダムを作ることがありますが、大きな谷とは小さな谷の集合体であり、小さな土砂崩れを防ぐことによって砂防ダムを作る必要がなくなります。この小さな土砂崩れを防ぐために、従来の方法では木を植えたり、コンクリートで補強をしたりしていましたが、三宅島での利用には上條先生は消極的だったそうです。「島に外来種である島外の木は持ち込みたくない。コンクリートは山の地形を不自然なものにするため使いたくない。」という思いが、東京クレセントロールの開発を後押ししました。東京クレセントロールの優れた点は外来種を利用しなくて済む、山の景観を保てるという点が挙げられます。財政にも環境にも優しい優れものであり、今後ますます利用が増えることが予想されます。

 

ヒトの文化も自然の一部

 2000年噴火では有毒ガスが吹き出たこともあり、全島民が島外での避難生活を余儀なくされ、島に帰れたのは数年後です。そのまま島外での生活を継続する人も少なくなく、噴火前には約3,000人いた島民も2,000人程度まで減ってしまいました。研究活動や環境保護活動だけでなく、三宅島を含む伊豆諸島の応援活動にも上條先生は尽力しています。「一番は島の自然を残したい。でもそれは人のいない島を残すことではなく、島の生活や文化を含めて“自然”を残すこと。両者を切り離すことはできない」と上條先生はおっしゃいます。青ヶ島と書かれた服を着る先生の言葉には力強い熱意がこもっていました。

【取材・構成・文:氏家太(生物学類 4年)】

 

PROFILE

上條 隆志

筑波大学生命環境系・教授

一覧に戻る