浜辺で眠るクジラたち
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研究者をたずねて

浜辺で眠るクジラたち
~ストランディングの謎を追って~

みなさんにとってクジラは身近な動物でしょうか?クジラは何種類いるのか知っていますか?クジラは全世界に80種類いて、そのうち半数は日本周辺に棲息しています。そして、平均すると一日あたり約一頭のクジラが私たちの住む陸に近寄ってきて、打ちあがってしまう現象が報告されています。日本鯨類研究所によると、このように、「海棲哺乳類が海岸に生きた状態で座礁したり、死んだ状態で漂着し、自力で本来の生息域に戻ることができなくなること」をストランディングと呼んでいます。

博物館というと資料の収集と展示が主な活動だと考えている方も多いと思いますが、研究部における調査研究も積極的に行っています。国立科学博物館の田島木綿子先生は、この「ストランディング」という現象に興味を持ち、研究を続けられてきました。また、田島先生は生物学類の専門授業である「脊椎動物形態学」で授業を担当してくださっています。

ストランディングと病気の意外な関係

田島先生は獣医学部のご出身で、獣医病理学の研究室に入ったあと、海棲哺乳類に興味を持たれました。病理学は病気の原因とメカニズムを明らかにする学問で、病気になった個体の組織などを肉眼や顕微鏡で観察し、生きている個体がよりよく生きられる方法を探すことがメインの研究です。生態学など観察が主な学問と違い、目の前に証拠となる材料がある点に、先生は惹かれたそうです。その後、クジラなどが打ちあがってしまうストランディングに注目し、博士号取得後、東京大学・テキサス大学・海棲哺乳類センターで研究員を経て、国立科学博物館の動物研究部の門を叩かれました。

クジラは私たちと同じ哺乳類で体の構造にも似た部分がありますが、海にすんでいるという点が大きく異なります。陸の動物は生息地がある程度特定されており、研究のために標本個体を採集することもできますが、クジラは広い海を回遊しておりしかも規制が厳しいため、研究に着手するのにも一苦労します。

ストランディングは個体が見つかりやすいという意味では良い点がありますが、打ちあがった個体が研究施設に届くまでにも問題が立ちふさがります。野生動物は誰のものでもないからこそ、ひとたび死体になってしまうと粗大ごみとして扱われてしまいます。地方自治体にとっては処理にコストのかかる厄介者と思われているため、田島先生たちは「私たちと同じ哺乳類で、研究するとこんなことが分かるから調査させてください」とお願いして引き取っているそうです。大学や企業と違って、博物館は一般の方々と直接接触する機会が多く、展示などで研究内容を広めることができます。今では少しずつネットワークも広まってきましたが、クジラに限らず野生動物が死んでいるのを発見した時に、しかるべき研究所や博物館に連絡してもらえるような接点を作るのが大変だったとおっしゃっていました。本来の研究を続けながら大きな展示会などの準備をするには、一人ではなく多くの人の協力が必要になります。また、自由度が高い分、やりたい研究の重要性は自らアピールしていかなければいけません。追われている忙しさを楽しめる人でなければ研究はできないので、乗り越える壁が高ければ高いほどのぼってやろう、という人が向いているそうです。

生き物を脅かすプラスチック
田島先生は、POPs(残留性有機汚染物質)の与える動物への影響も研究されています。20年前から、ストランディングした鯨類の胃にプラスチック片や容器が確認されていました。このように目に見える大きいプラスチックだけでなく、劣化したり分解されたりして直径5mm以下に小さくなったマイクロプラスチックは、表面の凹凸にPOPsを吸着してしまいます。今まで、化学物質の生物濃縮の経路は食物連鎖が主流だと考えられていました。しかしプラスチックによって運ばれるPOPsは食物連鎖内の位置に関わらず、動物の体に悪影響を及ぼすことが指摘されています。マイクロプラスチックよりもさらに小さいプラスチック片は、腸壁や胃壁をすり抜けて重大な疾患を引き起こすかもしれません。POPsの蓄積は、健康であればすぐ治るような病気の悪化につながり、蓄積が多い個体はストランディングを起こしやすいという報告もされています。先生は日本のストランディング個体に関しても、相関性を証明しようとされています。

POPsやストランディングに関する研究をするうち、先生は人間の活動がいかに野生動物に影響を及ぼしているのかを痛感したそうです。ご自身の研究を通して、感情的にならずに淡々と現状を知ってほしいと考えられています。「たとえば海外だと、自然保護や環境問題について力を入れていることが評価されやすい。社会的地位が高い人でもそういうことに力を入れていて、その人を見て感心した人が、また行動に移すということがある。日本でそういうことを言うと真面目だねとか、いい子ぶっちゃってという風に捉えられやすくて、他の人の意識がなかなか動かされない。環境について考えることを、恥ずかしいことじゃなくて普通のことにしたいです。」と先生はおっしゃっていました。今ではマイボトルを持ち歩く人や、お弁当を持ってくるということが少しずつかっこいいと思われ始めています。

未来の人たちに「とっておく」
国立博物館の標本庫には、骨格標本や剥製など様々な種類の膨大な数の標本が保管されていました。これらは博物館にいる先生方の研究対象の動物だけではありません。標本をとっておくのは広いスペースも、保存できるようにするための手間も必要です。それでも保存するのは「残しておけばいつか誰かが使えるから」です。特にクジラなどは研究したいときに行けば手に入れられるわけではないので、機会があれば可能な限り調査しにいくそうです。「とってあるたくさんの標本は、そこから何かを抽出できるような研究者やライターなどの方にどんどん利用してもらいたい。論文でも記事でも教育普及の教材でも、どんどん使っていってほしい。活用していただくために、門を広げて待っています」とおっしゃっていました。

【取材・構成・文:濱野 彩音 (生物学類 3年)】

PROFILE

田島木綿子先生

獣医学博士で、国立科学博物館動物研究部脊椎動物研究グループに所属している。
専門は海棲哺乳類学、比較解剖学、獣医病理学である。
海棲哺乳類の構造変化に関する比較形態学や、ストランディングに関する病理学を中心に研究を進めている。

国立科学博物館
1877年に創立された、日本でもっとも歴史のある博物館の一つ。自然史・科学技術史に関する国立の唯一の総合科学博物館である。調査研究、標本資料の収集・保管、展示・学習支援といった主要な三つの活動を推進している。

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