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つくばの研究紹介

好奇心が切り拓く宇宙開発

あなたの見上げる空の100km先。そこからは宇宙が限りなく広がっている。最後のフロンティアと呼ばれ、人々の好奇心を刺激する宇宙。私たちにとってはまだまだ遠い場所だが、 日本で最も宇宙に近い場所と言えるのが国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(Japan Aerospace Exploration Agency:JAXA)だ。JAXAは国際宇宙ステーション(ISS)「きぼう」日本実験棟の運用を行っており、そこで行われる宇宙実験は正に科学のフロンティアである。宇宙実験はどのような想いを持った人達が、どのように計画、実施しているのだろうか。筑波大学生物学類出身でもあり、JAXAで宇宙実験のマネジメントを担当する矢野幸子先生にその一端を伺った。

時間とスペースが限られる宇宙実験を調節する

矢野先生は国際宇宙ステーションで行われる実験のマネジメントの仕事を主に行ってきた。宇宙で行われる科学実験はJAXAが募集し、多くの研究者が応募した中から選ばれる。そこから提案した研究者と共に実験の役割分担とスケジュールをはっきりさせていく。「きぼう」での実験は宇宙飛行士が操作を行う。そのため、彼らが着実に実験できるように、実験手順を考え、装置を開発し、地上での実験と準備を行う。

国際宇宙ステーション(International Space Station:ISS)の大きさは約108.5m×約72.8m(サッカー場と同じくらい)、重さは約420トン。ISS計画にはアメリカ、ロシア、カナダ、日本、ヨーロッパ11か国が参加している。ISSはそれぞれが開発した要素で成り立っており、担当の国が運用するとともに、アメリカが中心となって運用全体を取りまとめている。日本は「きぼう」日本実験棟と物資を運ぶ補給船「こうのとり」を担当。条件が揃えばISSは地上から肉眼で見ることができる(http://kibo.tksc.jaxa.jp/)。たまには空を見上げてみては。(JAXAクラブHP より)

地上ではトライアンドエラーを繰り返して実験を行うのが当たり前であろうが、宇宙ではそうはいかない。実験回数を気軽に追加することが困難だ。なぜならば、ISSには宇宙飛行士が常時滞在しているとは言っても操作時間は限られていて、実験は実施を希望する多数の実験の中から選ばれ、また、ISSでも参加各国が実施を希望する実験から優先順位をつけて計画的に実施しているためだ。宇宙飛行士が関わる作業時間をはじめとして、使う電力や通信量、打ち上げ品や回収品の量など、ISSを利用するための資源は利用リソースと呼ばれる。ISSの参加各極への割り当ては決まっており、ロシア・アメリカ・欧州・日本・カナダへそれぞれの役割に応じて配分される。例えば、矢野先生がマネジメントを担当する実験期間の単位“インクリメント”は約半年間だが、その期間の日本への割り当ては、宇宙飛行士の作業時間としてたったの120から140時間ほどである。この限りある貴重な時間に対し、宇宙飛行士、実験計画者、実験に使う装置や機器を開発したエンジニア、運用管制要員など、多種多様な専門を持つたくさんの人が実験に関わっている。加えて、ISSは参加各極で共同運用しており、国際的にも協調しなくてはならない。チームで一つの目標に向かってたくさんのハードルを越えていく上で、マネジメントは必要不可欠なのだ。そして、これがマネジメントの苦労するところでもあり、やりがいでもあるそう。

 

そんな宇宙実験のキーパーソンでもある矢野先生は筑波大学生物学類出身。大学では植物の分子生物学的研究を行っていた。一見、宇宙実験のマネジメントとは関係なさそうだが、生物学類で身に着けたことが今の仕事でも役立っているという。「研究に必要な基本的な知識や経験があるので実験の話を理解することができます。一方で生物学だったら当たり前なことや、0か1かではない生物の曖昧さを生物学以外の人に伝えるのが大変です。ですが、生物をやっていたからこそ橋渡しができると思います」。

実際に知識や経験が生きる場面を紹介してもらった。その一つは、実験のサンプルの準備だ。基本的に生物学の実験ではフレッシュなサンプルを使わなければ意図した結果を得ることが難しい。大きな機会損失にならないようにフレッシュさにこだわり、打ち上げ場所の近くに実験室を借りて、再三の延期となる可能性も考慮した上で、数日おきに搭載できるよう、サンプル準備計画を練り上げ、効率よく準備し続ける。

また、宇宙で実験を行う前の地上での検討実験でもこれまで得た実験の感覚が役立っている。大学の研究室など地上ではあまり問題にならないが、宇宙実験では実験機会が貴重なので、宇宙にサンプルや機材を持っていって本当に実験できるのかを事前に検討しておく必要がある。例えば、地上と異なり宇宙で問題になるものの一つに「気泡」がある。あなたが住む地上では、水中に生じた気泡はどちらへ向かうだろうか? 答えはもちろん上である。しかし、宇宙ではそうはいかず、気泡が水中にとどまってしまう。シリンダーで気泡を抜こうにも、温度の変化によってどうしても気泡は発生する。そのような場合は宇宙飛行士に容器を持って回転してもらうことで水中の気泡を抜くそうだ。

宇宙実験とは言っても宇宙に持っていくまでに途方もないステップが存在する。これを計画する上で、生物学類で実験・研究を行っていたからこそわかる知識や経験が活かされている。

 

宇宙での食料自給を目指す

今回インタビューした矢野幸子先生。宇宙航空研究開発機構(JAXA)有人宇宙技術部門きぼう利用センター主任研究開発員として、スペースシャトル・国際宇宙ステーションでのライフサイエンス実験の準備、実施、機器開発を担当している。手に持っているのは宇宙で植物を育てるために開発された植物実験ユニット内の植物生育容器。大学時代には植物の分子生物学的な研究、アルバイトではつくばの立地を活かして農研機構でイネゲノムの研究をしていた。卒業後、生命科学の実験を行う人材を探していたJAXAに就職。その出会いは偶然だったが、タイミングよくチャンスをつかむことができたそう。(JAXA 宇宙を感じる植物のしくみ より)

最前線で宇宙実験を取り仕切ってきた先生はこれからの宇宙開発をどのように見据えているのだろうか。人類が月に到達してから41年。次に目指すのは火星だ。だが、その道程は非常に長い。月ならば3日でいけるが火星は8か月かかる。更にミッションや帰路も考えると往復に3年はかかってしまう。もしかしたら火星に永住することもあり得る。補給船もままならない火星での生活。やはり必要になるのが食料の自給自足だ。植物の専門家でもある先生は火星の前段階として月面農場について検討するワーキンググループに属しており、2019年には検討報告書(http://www.ihub-tansa.jaxa.jp/Lunarfarming.html)も完成した。

そんな先生が注目する植物はサツマイモ。意外かもしれないが様々なメリットがあるという。甘くない品種もあり、エネルギー源になる。ビタミン、ミネラル、食物繊維もバランスよく含まれており、宇宙飛行士のハードワークを支えるにはもってこいだ。加えて、茎や葉も食べられ、栄養成長で増やすことができ、土以外の人工培地による栽培研究例もある。尿を飲用水としてリサイクルするほど資源とスペースが限られた宇宙では無駄がないことも重要なのだ。

宇宙開発は国際協調であると同時に国際競争でもある。現在、アメリカ航空宇宙局(National Aeronautics and Space AdministrationNASA)は宇宙飛行士の食生活にバラエティを増やすことを目的に水菜やレタスの栽培を画策している。日本は国際的にリードできる分野を極めつつ、独自の戦略で研究を進めていく。それが宇宙でエネルギー源となる作物を栽培する技術であると、現時点では考えている。今後、無重力下で根がどのように肥大するか実用化に向けた研究を目指していくそうだ。

月面農場全体イメージ。円筒形の機械化された栽培エリアで高効率に食料を生産する。中央に収穫物、外周にリサイクル施設に送られる残渣を運搬する。中央地下には居住エリアを配する。(JAXA 月面農場ワーキンググループ検討報告書 第1版より)

一方で、月面農場完成までこれまた長い時間と莫大な費用がかかる。そのため、ここ数十年は宇宙探査に要する無人化や機械化、建築などの工学的な研究に重きが置かれると思われる。宇宙生物学実験にとっては冬の時代になるかもしれない。だが、宇宙での食料生産はその先の時代で必ず必要になるものである。矢野先生の目は宇宙探査の更に先を見据えていた。 

 

好奇心は未来への原動力

矢野先生は実験のマネジメントを行いながら、自身が担当した実験をTwitter(https://bit.ly/2OGqZAV)やコラム(http://iss.jaxa.jp/column/sachiko/index.html)を通して発信する活動も行っていた。一般社会の関心は実験の成功が社会や生活に与える影響にあることが多いので、ストーリー性や背景を通してシンプルにインパクトを伝えることを意識しているそう。言うまでもなく宇宙開発は莫大な予算も時間もかかる。理解を深めてもらうことで、宇宙開発の味方を増やしていきたいと考えていた。

一方で、役に立つか立たないかだけで語れないのが科学である。経済が停滞している時代では、お金がかかることをやろうとすると自分たちに得があるのかどうかで世論が形成される傾向がみられる。それは経済のみならず精神的な「貧乏」でもある。矢野先生は今がその「貧乏」の入り口に立っていることを指摘した上で、そのような考え方ではますます「貧乏」になると警鐘を鳴らす。「人の好奇心や興味って一番尊くて、ずっと面白いと思ってやり続けるという原動力がなくなったらおしまいだと思う。自分が面白いと思うことをやり続けていいんだと勇気を与えたい。興味を持ち続けられるように背を押すことができるといいんじゃないかなと思っています」。実験を伝えることとマネジメント、これら活動の根底に人間の好奇心に対する価値観を見ることができた。

 

若い人達へのメッセージ

インタビュー中、今まで担当してきた宇宙実験の説明や苦労、やりがいなどを話す先生は、真剣でいてとても楽しそうだった。一方で、やりたいことと反して組織や社会の制約を受けることもあるそうだ。そんな話の中でも笑顔を見せてくれるのは、先生自らが自分自身の興味を大切にしているからなのかもしれない。

人間の興味の大切さを語った矢野先生。大学ではその興味を持てるものに没頭するといいという。一方で、そうは言っても興味を持てるものが何かわからず悩んでいる人も多いことだろう。そんな不安を払拭するように先生の言葉は続く。「もし違うなと思ったら、何が違うのか何がやりたいのか探すのに没頭するのもいいと思います」。それは苦しい道かもしれない。しかし、化学、物理学、社会学などの幅広い分野をカバーする生物学を学んだことが違う道でも役立つ。実際に先生のマネジメントでも生物学で培った研究のノウハウが生きていた。「情熱を注げるものを見つけてやればいいんですよ。けれどそれはやってみなくちゃわからない。学生のうちはとりあえずやってみるといいと思います」。

読者の中には大学進学を考える高校生や浪人生もいれば、研究やサークルに没頭する大学生も、そして何をしたいのか分からず悩む人、様々な人がいることだろう。矢野先生の言葉は没頭できるものを見つけられた人、それを探している人、どちらの背中も強く押してくれるのではないだろうか。

【取材・構成・文 渡部八雲】

PROFILE

矢野 幸子 先生

国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構
有人宇宙技術センター/きぼう利用センター 主任研究開発員Inc.59/60, 63インクリメントマネジャー

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